今回は、ちょっといつもと違って保有している万華鏡ではなく、古い文献の紹介です。 これは、「タコタコ眼鏡」という見世物で、日清戦争(1894-1895)前後に大阪で流行したものです。タコのかぶりものを着た芸人を観客がドラゴンフライ(先のレンズがトンボの目のように多面にカットされていて見たものが数多くダブって見える)で見ていますね。 ドラゴンフライは鏡を使っていないので、正確には万華鏡ではないのですが、江戸時代から、将門眼鏡、八角眼鏡などと呼ばれて、不思議なカラクリとして金持ちに広がっていたようです。この明治末期にもまだ庶民にはめずらしかったからこの手の出し物がはやったんでしょうね。 数多く見える→数が多いのは”八”で象徴→八といえばタコ→タコタコ眼鏡 でこの出し物になったのでしょうか・・・。 私も見てみたかったです。 このタコタコ眼鏡の資料は「大阪ことば事典」牧村史陽(講談社学術文庫)から掲載しました。 下記が牧村史陽の解説です。時代を映していますね。 タコタコ【蛸蛸】(名) 春秋の彼岸に四天王寺境内へ出た大道芸人の一つ。一人は、張りぼての大きな蛸を頭からかぶり、一人は戎のかぶりものに同じく張りぼての鯛を持って踊ったものであるが、後には、日清戦争の影響を受けて、腰に張りぼての馬をつけ、玩具の剣を振り廻して、奇抜な剣劇を演じるようになった。そして、大活劇の後中国兵の首が落ちると「コレ一銭の泣き別れ」で入れ替りとなるの定った。それを万華鏡(まさかど眼鏡)で覗かせたもので「天王寺名物、たこたこ眼鏡じゃい」の声は、大阪人にとってはなつかしい想い出である。見料は、のちに二銭、三銭となり、最後に五銭になってついに滅びた。 蛸踊、引導鐘が響いて来 半文銭 今は、その船木嘉吉爺さんも死に、眼鏡は戦災に滅びて、もはやその姿を再現出来そうにもない。
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